エベレストトレッキング8日間
概要
エベレストトレッキング8日間は、時間がない旅行者のために作られたプランです。ネパールのエベレスト地域へのトレッキングを希望しているものの、十分な時間が確保できるかどうか心配しているお客様、エベレストトレッキング8日間はあなたにぴったりのプランです。ネパールの山岳地帯に暮らす人々や彼らのライフスタイルを垣間見るために、エベレスト地域の交易の中心である有名なナムチェバザールへと続く道に沿って歩き始めます。ナムチェバザールは、エベレスト地域の交易の中心地であるだけでなく、エベレストへの唯一のゲートウェイでもあります。ホテルエベレストビューへのハイキングでは、エベレスト、ローツェ、ヌプツェ、タムセルク、アマダブラムなど、ネパールのエベレスト地域の錚々たる峰々の景色を眺めることができます。ヒマラヤの大自然を体中で感じながら、お茶やコーヒーをすする姿を想像してみてください。
トレッキングは大好きだけど、過酷でなければいいなと思ったことはありませんか。エベレスト地域でのトレッキングが少しでも楽になればいいなと思うことは、不自然なことではありません。何週にもわたり歩き続けることと忙しいスケジュールは、時に協調しません。そこで、私たちネパール観光トレックスが、皆様の不安をすべて解消します。さぁ、長くてつらいトレッキングに別れを告げましょう。短期間で最高のアドベンチャーを楽しんでもらうために、私たちはこのエベレストビュートレッキングのパッケージをカスタマイズしました。8日間のトレッキングで、エベレストの魅力を余すことなく感じてください。はい、その通りです!たった 8日間です。8日間でエベレストの素晴らしさを皆様に楽しんでいただきます。
エベレストトレッキング8日間では、エベレストとその周囲を取り囲む山々を最大限に楽しむことができます。トレッキングの醍醐味は、美しい自然と多様な文化の融合を目の当たりにすることです。エベレスト、ヌプツェ、タムセルク、アマダブラム、ローツェなどの多くの美しい山々の素晴らしさと同時に、様々な文化が交り合うネパールの多様性を肌で感じることが出来ます。ヒンズー教徒、チベット仏教徒、そして仏教徒 が調和して共存していることがわかります。各民族は互いの文化、祭り、伝統、ライフスタイルを尊重し合い、そして祝い合います。近代社会とはかけ離れた彼らのシンプルな生活は、このトレッキングのハイライトの一つでもあります。主な移動手段は、一つの道から他の道へとただひたすら歩くことです。エベレストビュートレッキングでは、本物の山の生活を体験することが出来ます。
エベレストトレッキングに関するお役立ち情報
ご自身が懸念されるほど、ネパールでのトレッキングが危険を伴うものと考える必要はございません。それでも、やはり事前にメディカルチェックや予防接種といった予防策をとることで非常事態を避けることができます。僻地では現代の医療機器に必要なものが用意できない上救援や避難が数日かかることもあることから、必ず一般的な薬が一式揃っている救急箱やトレッキング用具の付属品をご用意していただくことになります。
ネパールの山岳地域には現代的な歯科医院はございませんので、ご出発前に歯科検診を受けていただくこともお勧めしております。歯の詰め物に関して:低温や標高の高い場所では詰め物がとれてしまうこともございます。予防策はご自身でこまめに詰め物のチェックをしていただくことです。
また持病などがあり、医者にかかっておられる場合は主治医による処方薬をお持ちください。
頭痛薬や胃腸薬といった一般的な薬やマラリアの薬はカトマンズでも購入できますが、通常、僻地では薬はご購入いただけません。ですのでご自身で必要とされる薬を携帯していただくのが一番よい方法となります。加えて、ネパールご出発前に腸チフスや髄膜炎、肝炎などの予防接種を受けられると良いでしょう。
高山病の克服:急性高山病(Acute Mountain Sickness:AMS)としてよく知られており、とりわけヒマラヤ山脈でのトレッキング中に起こる危険性がある重大な問題です。高山病とは高度約3,000m以上の場所を急激に登ったことで体調に異変をきたす症状を意味します。高山病の初期症状では頭痛や吐き気、息切れ、疲労などといった症状が顕著にあらわれます。予防策および治療方法の主な情報源である「NGOヒマラヤ救助協会」"Himalayan Rescue Association(HRA)"やネパール観光トレックスは信頼できる団体です。当社のガイド全員が確かな情報を有するHRA指導に従い訓練を行ってきた者であることを保証いたします。
世界の屋根エベレスト
エベレストは標高(29,029フィート、8,848m)で地球上最高峰です。ヒマラヤ山脈のマハラングル地域に位置し、現在その山頂はネパールと中国チベット自治区の国境となっています。 エベレストの標高が初めて明らかになったのは1856年でした。イギリスおよびインドによる大三角測量で、当時ピーク15と呼ばれていた山が最も高く、その高さが29,002フィート(8,840m)だと分かりました。しかし当時の調査にはある不都合がありました。自国が侵略または併合されるのではないかと恐れたネパールが入国を許可しなかったのです。近年認識されている標高は1955年にインドが行った調査から判明、その後の1975年に中国が行った測定で再確認された数値です。 1865年、当時前インド測量局長官アンドリュー・ウォーはその山を前任者のジョージ・エベレスト氏に因んだ名前にするよう提案しました。チベットの人々は数世紀前からすでにこの山を『チョモランマ(聖なる母という意味)』と呼んでいましたが、当時ネパールおよびチベット鎖国していたため、ウォーはこの事実を知りませんでした。
エベレスト登山
エベレストは一般的にシェルパと呼ばれるガイドの協力が必要な経験の少ない登山者はもちろん、経験豊富な登山者をも魅了しています。8,000フィートを超えると、登山は決して簡単ではありません。大半の登山者にとって登頂を目指す際、高山病や天候、強風が主な障害となります。これまでに5,000名以上がエベレスト登頂に挑戦しましたが、その内219名が亡くなっています。2000年以降になるとおよそ77パーセントの挑戦者が登頂に成功しています。2007年には633名が記録されました。エベレストには主に、ネパール側の南東稜ルートとチベット側の北稜ルートという2つのルートがありますが、今日では技術的にやや難易度の低い南東稜ルートが頻繁に利用されています。 北稜ルートは1921年ジョージ・マロリーがイギリスのエベレスト偵察遠征の際に発見されました。この遠征は本格的な登頂のための調査が主な目的で、登頂を試みるものではありませんでした。マロリーは「なぜエベレストに登るのか?」という質問に対し、あの有名な、あるいは伝説となっている「そこに山(エベレスト)があるからだ」と答えた人物です。 1922年、ブリット・ジョージ・フィンチが初めて酸素ボンベを着用して登頂を試みましたが、遠征隊はなだれによって成功することはなりませんでした。 1924年にマロリーと彼のパートナーのアンドリュー・アーヴィンが登頂に挑戦しましたが、生きて帰ることはなく、1999年にマロリーの遺体が発見されました。1920年代および1930年代の初期の登山遠征隊はチベット側からの登頂を試みていました。ところが1950年にチベットが中国の支配下に置かれると、そのルートは閉ざされてしまったのです。???この出来事を受け、ビル・ティルマンおよびチャールズ・ヒューストン、オスカーヒューストン、ベスィー・コールズを含めた小規模隊が、ネパールを経由したルート、つまり今ではスタンダードになりつつある南側から登頂を目指すルートを試みました。 1952年、エドゥアルド・ウィス・ドゥナント率いるスイス登山遠征隊のメンバーは南東稜ルートで標高約28,199フィート(8,595m)にまで到達し、新たな記録を打ち立てました。この遠征隊の一員であるネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイは後にイギリスの遠征隊に参加します。 1953年、ジョン・ハント率いるイギリスの遠征隊がネパールに戻りました。ハントは頂上に到達するための2人1組のペアを選びます。第1ペア(トム・ボールディロンとチャールズ・エヴァンス)が頂上から残り約300フィート(100m)地点まで到達しましたが、酸素のトラブルによりそこで引き返しました。2日後、第2ペアであるエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが登頂に成功、写真撮影を行い甘いお菓子と十字架を置きました。
エベレストの生物
エベレストはローツェ Lhotse(27,940ft/8,516m)やヌプツェ(25,771ft/7,855m)、シャントブセ Changtobse(24,870ft/7,580m)といった数多くの峰々に囲まれています。 一般的に標高の高い地帯では動物や植物は生息できません。ただ、カバノキやジュニパー、青松、モミ、竹、シャクナゲは比較的標高の低いところで成長します。18,690フィート(5,750m)以上は植物は見当たりません。ジャコウジカや野生のヤク、アカパンダ、ユキヒョウ、ヒマラヤグマ(ヒマラヤツキノワグマ)もまた生息しているのは比較的標高の低い土地です。少数ではありますがヒマラヤタール、鹿、コノハザル、ノウサギ、きつね、イタチ、ヒマラヤオオカミもいます。
⇑比較的標高の高いところ ではないですか?
エベレストのマイルストーン
エベレスト遠征登山に関するその他の出来事 1965年5月20日:シェルパのナワン・ゴンブが世界で初めて2度の登頂に成功 1975年5月16日:日本人の田部井淳子が女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功 1980年5月3日:日本人の登山家、加藤保男が初めてシェルパを伴わずにエベレスト登頂に成功。1973年に初登頂を果たしており、彼にとって2度目の成功となった 1980年8月20日:ラインホルト・メスナーが世界で初めて単独で登頂に成功 1996年開山期:エベレスト登山中に16名が亡くなり、1年で最も多くの犠牲者を出した年となった。そのうち8名は5月10日に発生した嵐によるものだった。生き残った内の1人、「アウトサイド」誌のジャーナリスト、ジョン・クラカワーは後に彼の体験について綴った書籍「空へ-エベレストの悲劇はなぜ起きたのか」を出版し、ベストセラーとなった。 2010年5月22日:1990年5月10日に初登頂を果たしたアパ・シェルパがこの日20度目の登頂に成功。
エベレストトレッキング8日間は、ルクラへの刺激的なフライトから始まります。平行する山のパノラマを眺めながら、緑豊かな風景の上を飛行することは素晴らしい経験になります。ドラマチックな地形の狭い滑走路への着陸は、恐ろしくもあり冒険的です。ルクラへ到着したら、ドゥドゥコシ川へと下り、そしてパクディンへの整備された道を登ります。シャクナゲの森に沿って進みドゥドゥコシ川にかかる吊り橋を渡ると、サガルマータ国立公園に入ります。そして、モンジョやジョルサレなどの村を通りナムチェに到着します。ナムチェからは、このトレッキングの見どころでもあるシャンボチェ空港、クンデ病院、そして写真ギャラリーを備えた博物館を訪れます。
エベレストトレッキング8日間は、ネパールのエベレストトレッキングの中で最も簡単なトレッキングの一つです。高山病にかかるリスクも非常に低く、楽しさや冒険、自然の素晴らしさ溢れる安心して行ける旅です。
旅程
1日目:トリブバン国際空港(カトマンズ)到着。ホテルへ移動。ホテル泊。
2日目:カトマンズからルクラ(2848m)へ飛行機で移動(35分)(エベレストトレッキングへ)
その後パクディン(2652m)までトレッキング(3時間)。ロッジ泊。(エベレストトレッキング1日目)
3日目:パクディンからナムチェバザール(3440m)までトレッキング(6時間半)。ロッジ泊。(エベレストトレッキング2日目)
4日目:高度順応のためナムチェバザールに滞在。シャンボチェ及びクムジュン村散策。ロッジ泊。(エベレストトレッキング3日目)
5日目:ナムチェバザールからテンボチェ(3870m)までトレッキング(6時間)。ロッジ泊。(エベレストトレッキング4日目)
6日目:テンボチェからナムチェバザールまでトレッキング(7~8時間)。ロッジ泊。(エベレストトレッキング5日目)
7日目:ナムチェバザールからルクラまでトレッキング(7~8時間)。ロッジ泊。(エベレストトレッキング6日目)
8日目:ルクラからカトマンズへ飛行機で移動。ホテル泊。(エベレストトレッキング7日目)
料金に含まるもの:
カトマンズ国際空港~カトマンズのホテルまでの輸送料
カトマンズのホテル2泊 (ツリスートクラスホテル朝ごはん付き)
エベレストビレッジパミット
TIMS カード
エベレスト国立公園代
寝袋とダウンジャケット(ご希望の場合)
カトマンズー国内空港ーカトマンズ(車代)
カトマンズ〜ルクラ〜カトマンズ (飛行機代)
トレッキング中のご飯1日3食(朝、昼、晩御飯付き)
トレッキング中のロッジ宿泊
ネパール政府からのガイドトレニングして10年以上山登り経験があるフレンドリーなガイド、ポーター
(ガイド、ポーターの食費、宿泊費、移動費、装備道具、給料、保険料)
(ポーターは2名様以上の参加に限り含まれます。1名様参加の場合別途追加料金が掛かります、ポーター1名につき20キロまで負担)
トレッキング証明書
ファーストエイドキット
料金に含まれないもの:
ネパールまでの国際飛行機代
ネパールビザ代
お客様の海外保険
トレッキング前と後の食事代(お昼と晩御飯)
ガイド・ポーターのチェップ(渡す習慣があります)
トレッキング中の飲み物代
ポーター追加の場合料金がかかります。(2名以上でのご参加の場合、ポーター料金に含まれます)
料金に含まれてないもの以外お客様から支払いさせていただきます。
よくある質問
なぜエベレストベースキャンプトレッキングが一番なのですか?
エベレストトレッキングは世界で最も人気のあるトレッキング遠征の一つです。このコースはそれほど標高の高くない丘から世界最高峰のベースキャンプへと登っていく壮大な旅路となります。世界中から探検家たちが偉業を成し遂げようとネパールにやって来るというのも何ら不思議ではありません。この旅路からネパールのヒマラヤの生活および地形を本質的に知ることができる、そうした素晴らしい魅力や見どころを垣間見えるものとして高い評価を受けています。
シェルパ族の豊かな文化からセルリアンブルーに映る広大なエベレスト・ヒマラヤ山脈の影部分まで、エベレストトレッキングは冒険心にあふれ見逃せないものばかり!
以下はネパールのエベレストトレッキングをお勧めする7つの理由です。
エベレストトレッキングはルクラへのフライトから始まります。クーンブ地方への唯一の方法というわけではありませんが、ルクラまで飛行機を利用するのが一番容易かつ短時間で行ける方法であることは確かです。また、ルクラへのフライト自体がちょっとした冒険気分を味わえるという点も好まれる理由です。テンジンヒラリー空港と呼ばれるルクラの空港は崖の上にあり、滑走路の最終地点から先は何もないというスリル満点の構造となっています。ご存知の通り、世界で最も滑走路の短い空港です。また、短時間ではあるもののフライトの間に高峰の広がる美しい景色が望めるので、飛行機からの景色を満喫した全ての人の記憶に残ることは間違いありません。丘を超えてヒマラヤへと入っていく過程で地形が変化していく美しい景観をその目で確かめることができます。
クーンブ地方はシェルパ族の文化が色濃く残っており、エベレストにおける伝説的なシェルパ文化は世界中の多くの人々から畏敬の念の対象とされてきました。このトレックではシェルパ族の人々の伝説的な伝統文化を間近で知ることのできる最高の機会です。事実、シェルパの人々は超人的な登山技術を有していることが世界的に良く知られています。彼らはもてなし心と温かい人柄でトレッキングの旅路をより魅惑的なものにしてくれるでしょう。ほとんどのトレッカーがこの山域を巡る際、ガイドまたはサポーターとしてシェルパの人々と行動を共にしています。
サガルマータ国立公園はエベレストベースキャンプトレッキングで最大の注目スポットの一つです。このコースでは美しいヒマラヤの保護区を歩き、そこに自生する動植物とともに今まで見たこともないような自然の風景が楽しめます。ユネスコ世界自然遺産にも登録されており、青々と生い茂るヒマラヤの木々の間を通るだけでも格別な体験となります。公園内の曲がりくねった地形は、ユキヒョウやジャコウ鹿といった絶滅危惧種に指定されている動物やその他多種多様な生物の生息地でもあります。カバノキや竹の森の中を歩けば穏やかな自然の恵みを受けられます。その上、保護されている美しい景観は目的地であるエベレストベースキャンプへ向かう価値を高めるほど素晴らしい旅路にしてくれます。
ナムチェバザール Namche Bazzarはエベレストベースキャンプのもう一つの有名注目スポットです。エベレスト道の中でも人気があり、コンディ・リ Kongdi RIやタムセルク Thamserkuなど高峰の素晴らしい眺めが楽しめます。斜面を登っていけば、もちろんエベレストだって望めます!ネパールヒマラヤ山脈の玄関口として非常に有名なこの街は、その地形が驚くほど円形闘技場に似ており世俗的なものとはかけ離れたヒマラヤの静穏を与えてくれる、そのような雰囲気を放っています。また、高度順応のため多くのトレッカーが宿泊滞在する街でもあり、クーンブ地方で観光分野を発展させるという重要な役割を担う美しい目的地でもあります。事実、ナムチェバザールはかつてネパール人とチベット人の各商人が交易の場として利用していた重要拠点で、ここで塩や干し肉、織物などが取引されていたのだそうです。
エベレストベースキャンプトレッキングは冒険的な要素と同じくらい神聖的な要素があります。トレッキング中、小さなゴンパや色とりどりの祈祷旗タルチョ、石に祈りの言葉が刻まれているチョルテンを頻繁に見かけるかと思います。このコースで立ち寄る数ある神聖なる象徴の中でもタンボチェ僧院はおそらく最も名高く、また崇敬されているスポットでしょう。タンボチェ僧院はタンボチェ村にある美しき仏教僧院です。トレッカーは旅路を無事に終えられるよう、僧から加護をいただきにこの僧院を訪れることが多いそうです。タンボチェ村自体もまたこの旅路の主な見どころのひとつに挙げられます。この村はシャクナゲの木に囲まれており、村の上空を飛び回るヒマラヤ鷲の光景やその鳴き声を見聞きする機会が多々あります。村の尾根上から見えるアマダブラム Ama Dablemやエベレスト Everestの姿はこの上ないほど雄大です。同様に、僧院自体も素晴らしい絵画と仏教壁画で鮮やかな装飾が施されています。外壁や表門には柔らかできめ細やかなパステル絵画が飾られ、仏教文化による神話や伝説を描写しています。ここは平和な環境やヒマラヤの美しさにおける聖地とされています。
最終目的地であるエベレストのベースキャンプトレッキングは、このトレッキングの道程で最大の見どころであることは言うまでもありません。一週間以上かけて歩き続け、ようやくたどり着いたかと思うと喜びもひとしおで、誇りと達成感で胸いっぱいになります。そこは世界最高峰ヒマラヤの頂上の影となり、澄みきった青空の下、雪に覆われ木々もなく視界の開けた場所。ひとたびそこに立てばより一層魅力と感動を抱くようになるでしょう。広大かつ巨大な高峰が人々の精神に活力を与えてくれるのは確かです。
ネパールヒマラヤ山脈の展望は国内最大級のアピールポイントの一つに挙げられます。エベレストベースキャンプトトレッキングはこの点において期待を裏切ることはありません。この旅路ではクーンブ地方ヒマラヤ山脈のパノラマを見る機会がたくさんありますが、どれも地球上で他に匹敵する場所が見当たらないほど最も心打たれ、もっと見ていたいと思わせるほどです。トレッキングの全過程で、エベレストだけでなくローツェ Lhotseやチョー・オユー Cho Oyu、アマ・ダブラム Ama Dablamなど、エベレスト連峰の巨大な名峰が絶えず周辺の峰々と共にその姿を見せてくれます。有名なクーンブ氷瀑もまたベースキャンプにたどり着いた際に着目していただきたいポイントです。また、真っ白な輝きを放ち空を突き刺すようにそびえたつエベレストの峰々、それらで装飾される青いスカイラインはその素晴らしさで見る者を魅了します。その光景は息を飲むほどで、ただただ畏敬の念を感じるばかりです。さらに、ベースキャンプからはエベレストの姿を見ることはできませんが、その代わりに人気の展望台カラ・パタール Kalapattharの頂上から見ることができます。「黒い岩」を意味するカラ・パタール。そこから印象的な手段でエベレスト連峰全体のパノラマを見せてくれることはトレッカーの間でもよく知られています。朝日の美しさも格別です。大変多くのトレッカーが早朝にこの展望スポットを訪れ、エベレストと周辺の山々の間を昇る朝日を目に焼き付けています。
トレッキング用具
靴
- 登山靴または軽登山靴
- 登山用靴下
服装
- ダウンジャケットまたは化繊ジャケット
- ジャンパーまたは毛織物のジャケット
- ハイキング用ズボン
- ウォータープルーフのジャケットまたはポンチョ
その他
- 傘(折りたたみ)
- 日よけ帽子
- リュックサックおよびダッフルバッグ
- 寝袋
- サングラス
- ヘッドライト
- 懐中電灯および予備の電池
雑多用品
- トイレット用品およびタオル
- トイレットペーパー
- 日焼け止めローションまたはクリーム
- 薬および救急用具
- カメラ
- 水筒または水ボトル
- ストック
アドバイス
*トレッキングに行く前にカトマンズに到着されたら日本円またはUSドルよりもネパールルピーを所持されることをお勧めいたします。カトマンズ市内では比較的良いレートで両替が可能です。
*カトマンズからポカラのフライトなら右側、カトマンズからルクラなら左側の窓際席を選ぶと良いでしょう。そうすれば窓からヒマラヤの美しい姿を見ることができます。
*高山病対策としてダイアモックス錠を常備されることをお勧めいたします。当社のツアーに参加される方には無料でお分けします。また、浄水錠剤が必要な方は、カトマンズ市内で購入することができます。
*トレッキング中は十分な水分補給を心がけてください。暖かい飲み物も効果的です。
*トレッキング中の飲酒および喫煙はご遠慮ください。標高2,500m以上の場所では特に危険です。
*高地での肉食は決しておすすめできません。高地では鮮度の悪い肉も多いため胃腸に大変負担がかかり、目的地までたどり着けなくなる可能性がございます。
*トレッキング道具はカトマンズでも安く買うことができます。スティックや寝袋はレンタル用具もございますが、数に限りがありますので事前にご相談ください。
*トレイルでは動物にご注意ください。登山道で荷物を背負ったヤクやロバとすれ違う場合は登山者は山側で待機してください。決して谷側で待機しないでください。荷物に押されて谷に転落する危険があります。
*山ではゴミを捨てず、ゴミ箱に入れましょう。
*トレッキング中はガイドの指示に従ってください。
*トレッキング中に下痢や嘔吐、発熱、疲労・倦怠感、めまいなどの症状が出ましたら速やかにガイドにお知らせください。ガイドまたはクルーがいつでも応急処置いたします。
*日本を出国する前に旅行保険には必ず加入してきてください。高山病、怪我または病気になった場合はヘリコプターによる救助が行われますが、救急搬送は高額な費用がかかります。
口コミ
エベレストトレッキング8日間を参加しました。英語だけだと体調不良の際に不安がありましたが日本語がとても上手で日本人をよくわかっているガイドさんだったので安心して登れました。ありがとうございました。